その②の続きです。
碓氷坂の関所跡、刎石山の頂上付近からは、林の中の尾根道をゆったり歩けます。
雷が落ちた跡でしょうか。
木が焦げていました。
此方は、掘り切り跡。
豊臣秀吉の小田原攻めの際、北条側が峠道の左右を削り道幅を細くして防御力を高めた痕跡です。
美しい花が咲いています。
景色を楽しむ余裕もでてきました。
南向き馬頭観音が置かれています。
北向馬頭観音の説明看板。
この辺りが刎石の一里塚跡。
ここから再び急坂がはじまります。
座頭ころがしです。
道標がある度に中山道を歩いている事を思い出させてくれます。
再び尾根道にでると風が流れ、気持ちが良いです。
栗が原。
此方に置かれた見回り方屯所が交番の発祥なんだとか。
峠道は、様々な姿に変化します。
整然と立つ杉並きの尾根道。
入道くぼ馬頭観音が置かれます。
まごめ坂を過ぎると、山中茶屋跡の説明看板。
此方は、峠の真ん中に辺り、十三軒の立場茶屋や茶屋本陣があり、明治の頃には、小学校もあったそうです。
先に進むと、朽ち果てたバス。
廃墟となった建物があります。
旅人を苦しめた老婆がいたと伝わる、一つ家跡の説明看板。
陣場が原の説明看板。
先程は、豊臣氏と北条氏、此方の足利氏と新田氏、武田氏と上杉氏。
関東への入口である碓氷峠は、要所であり、何度も戦場となりました。
勿論、我々は、中山道へ。
暫く下り坂、高度を下げます。(これが最後の急登となる一因)
道標を確認しながらさらに進みます。
すると化粧水跡の説明看板。
人馬施行所跡の説明看板。
沢を越え、歩きづらい峠道、足元を確かめながら一歩一歩注意して登ります。
最後の急登がはじまりました。
がんばれ、がんばれと皆で声を掛け合い登りきります。
急登の先には、仁王門跡に思婦石がありました。
碓氷峠水源地。
此のような山の上に水源地があるとは、驚きです。
明治天皇巡幸の際の御前水となったそうです。
上信国境は、目の前です。
その④に続く。