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ガレージ居酒屋ファン倶楽部中山道てくてく旅第7回(吹上から熊谷)

2021年11月20日、7回目の中山道旅です。
天気は、晴れ。
参加者は、いつもの4名。
地元の駅から電車に乗り込み前回のゴール地、吹上駅に向かいます。

駅前には、吹上の案内板。

現在は、鴻巣市の一部となっている吹上の街ですが、江戸の頃は、鴻巣宿と熊谷宿の間に位置する間の宿として栄えていたようです。
歩く前に腹ごしらえです。
駅近くにあるラーメン屋さんでランチをいただきます。

大変美味しくいただきました。
ごちそうさまでした。
時刻は、13時20分、熊谷駅を目指します。
中山道は、少し歩くと左に折れます。

電信柱には、直に書かれた道案内の矢印もありました。

この辺りは、古く趣のある建物が残りますが、なかには、廃墟となっている物も。
時代の流れを感じさせる通りです。

通り沿いには、吹上神社が鎮座いたします。


旅の安全を祈願。

先に進むと、中山道は、高崎線の線路に分断されてしまいますが、歩道橋で線路を越えることができます。
橋の下には、吹上間の宿の碑と説明板があります。


少し寂しげな道を歩きます。
すると、石碑がひとつ。

猿田彦大神と刻まれています。
道祖神庚申塔でしょうか。
暫く歩くと榎戸村の石碑があります。

側面には、道標と説明書きがあります。


この辺りにあった榎戸堤は、風光明媚な所として知られていたようですね。
小さな公園には、トイレもあり、綺麗な水が流れる元荒川も眺めることができます。
休憩するには、適した場所ですね。
元荒川には、立派な堰がありました。

公園を後にすると、煉瓦で造られた橋柱があります。

此方が元荒川の起点だそうです。

中山道は、荒川の土手に向かって続きます。
なんだか雰囲気の良い道筋。

土手の入口に小さな祠があります。
権八地蔵堂です。


この辺りで、平井権八という鳥取藩士が金を目当てに辻切りをしていたそうです。
その際、此方のお地蔵様が喋られたとか。
当時も中山道は、土手沿いに続いていたそうなので、日が傾く頃は、人気もなく、物騒だったのでしょうね。
当時の旅は、命懸けです。
土手へと道を進みます。

土手道をゆったり歩きます。


途中、決壊の跡の碑があります。


大雨になるとこの川幅も水で満たされるのでしょうか。

土手道を歩くと一里塚跡があります。

久下新田の一里塚跡です。

一里塚の前には、馬頭観世音塔がありました。

一里塚跡までの小路は、草が生い茂り、植物の種が足元に大量に引っ付いて取るのに大変でした。
一里塚を後にし、久下堤の碑が見えてくるといったん土手道から外れ久下の集落に入ります。

久下の集落に入ると説明板があります。

舟運と養蚕で栄えていたことが分かります。
久下神社が鎮座。



お参りを終え境内を散策致します。

前回の旅の神社にもあった、紀元二千六百年を祝う石碑がありました。
趣のある道筋を歩きます。


暫く歩くと祠があります。
此方も、権八地蔵堂です。

果たしてどちらが本物の物言い地蔵様なのでしょうか。
小さな公園のなかには、石碑もあります。


再び土手道に入ります。

久下の冠水橋跡碑。

当時の姿の写真付きです。

土手道に別れを告げるとみかりや跡。

茶店があり休憩所だったようです。
ゆべしが名物だったそうです。
先に進むと、久下氏ゆかりの東竹院。


久下氏の家紋、一番紋は、源頼朝の旗揚げに一番に馳せ参じたことで賜った由緒ある家紋です。
東竹院を過ぎると元荒川と再会です。

とにかく水が綺麗です。

埼玉県指定の天然記念物である、ムサシトミヨの生息地です。
また、此方に掛かる小さな橋は、熊下橋といい、昔、久下氏と一ノ谷の合戦で名を上げた熊谷直実が所領争いをしていた場所なんだとか。
暫く歩くと小さな公園。
なかには、一里塚跡があります。

八丁の一里塚跡です。
日本橋から十六番目。
中山道は、踏み切りを渡り、新幹線の高架の下をくぐり、左に折れると本日の目的地、熊谷駅に到着。

旅の疲れは、銭湯 さくら湯さんで洗い流します。
銭湯の後は、熊谷駅前で一杯。
小一時間で引き上げましたが、外に出るとすっかり陽は、落ちてました。

本日も楽しいてくてく旅でした。