You andIのパパブログ

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ガレージ居酒屋ファン倶楽部中山道てくてく旅第四回(上尾から大宮)その①

2021年6月26日(土曜日)天気は、曇り時々晴れ。
前回のてくてく旅の後、蔓延防止、緊急事態宣言と相次で政府による、新型コロナウイルス感染拡大防止対策の実施により、活動を自粛していました。
ようやく、緊急事態宣言も解除されたので、感染予防をしっかりして、かつ、歩く距離を短くする事で、再開を決めました。
今回のコースは、上尾宿から前回の終着地大宮宿へと向かう、所謂、逆打ちで歩く事に致しました。
スタート地点は、上尾市民からお鍬様と親しみを込められ呼ばれている、上尾宿総鎮守氷川鍬神社


参加者は、T氏、Jさん、S氏、初参加のOGさんに私の5名。
まずは、氷川鍬神社に今回のてくてく旅の安全を祈願いたします。

参拝後は、境内にある上尾郷二賢堂婢。

浅間大神の小さな富士塚

聖徳太子像碑。

等、様々な由緒ある石碑を巡ります。


神社の前には、上尾宿の説明板もありました。

お鍬様を後にし、お次は、上尾宿のシンボル、鍾馗様を探します。
上尾宿は、度々大火にみまわれた為、厄除けとして鍾馗様を屋根上に飾るようになったといいます。
私が知る、宿場に古くから残る鍾馗様は、二体。
一体は、上尾駅大宮側ホームに程近い民家の屋根上に鎮座。


もう一体は、中山道沿いにある、新井屋呉服店さんの店看板の下に飾られています。


此方の鍾馗様は、上尾宿脇本陣、細川家から引き継いだものだそうです。
中山道を挟んだ反対側の駐車場のある家の塀には、上尾宿脇本陣、井上家の巨大な屋根瓦が埋め込まれています。

中山道を大宮方面に歩き始めます。
和菓子屋さんの店先にも、鍾馗様がおられました。

此方の和菓子屋さんは、鍾馗羊羹やゆず最中と言った郷土の銘菓を売っています。
日本橋から数えて九番目の一里塚である上尾の一里塚は、川越や平方に向かう旧川越街道と原市や岩槻に向かう原市新道が中山道と交差する辺りにあったそうです。
現在は、クリニックと学習塾があり一里塚の面影や説明板等は、見当たりませんでした。
その先には、愛宕神社が鎮座。



愛宕神社を後にし、上尾陸橋の交差点を過ぎると、中山道は、イオンモール上尾店とスーパーバリュー愛宕店の2つのショッピングモールに挟まれます。
暫く歩くと東武バス、馬喰新田の停留所。
此方には、馬喰新田の寛政十二年銘庚申塔と呼ばれる立派な庚申塔が鎮座。
上尾市の市有形民族文化財に登録されております。

平方、川越、秋葉道への道標でもありました。
中山道から続く道は、高崎線の線路で塞がれていますが、当時は、ここから東西の街に向かう道が交差していて、交通の要所でもあったといいます。
お団子屋さんもあり、休憩もできる場所だったとか。
さいたま市との市境を過ぎると、向かって左側には、地域の人々にお諏訪様と呼ばれている、南方神社。



さらに進むと宮原小学校の立派なセンダン。

向かって右側の道端には、小さな馬頭観音が二基寄り添うようにあります。

大きい方が明治時代、小さい方が天保時代に造られたようです。
国道17号バイパスの高架をくぐると、左前方に、緑がこんもり見えてくるのが、加茂神社です。
英泉が描いた、木曽街道六十九次では、此方の神社付近を、上尾宿として描かれています。




加茂神社を過ぎると、元禄三年造立の庚申塔が民家の塀と塀の間に埋め込まれるように居られます。

庚申塔の直ぐ先には、東武バス、天神橋の停留所があり、小さなお社に天神様が奉られています。
当時は、立場でもあり大宮宿と上尾宿の間の休憩場でもあったようです。
なぜ天神橋かと言うと、かつては、中山道をまたぐ橋が掛かっていたからだそうです。
その証拠に、今でも中山道の両脇には、かつての橋の欄干が置かれ、当時を偲ばせています。

その②に続く。