You andIのパパブログ

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ガレージ居酒屋ファン倶楽部中山道てくてく旅第二回(板橋から蕨)その①

2020年12月15日(土曜日)、天気は、曇り時々晴れ。
この時期にしては、暖かい一日でした。
参加者は、前回同様の4人。
地元の駅に11時に待ち合わせ。
高崎線埼京線を乗り継ぎ、11時43分に板橋駅到着。

まずは、おトイレを済ませ、本日の目的地、蕨宿に向けて出発です。
最初の見所、近藤勇墓所は、駅前直ぐにありました。

新撰組隊士であった永倉新八が、板橋平尾の一里塚付近で斬首となった近藤勇を弔うために、明治になってから此方に墓所を建てたそうです。

立派な石柱には、正面に近藤勇の名と副長であった土方歳三の名前が諱と共に彫られ、その周りには、隊士の名前が刻まれます。
新撰組を愛した永倉の想いが伝わる墓石となっています。



その傍らには、当初の墓石が置かれていました。
近藤の首は、京に送られ、胴は、此方に埋められたそうです。

中山道に向かうと直ぐに、平尾の一里塚があったとされる交差点。
この付近で近藤は、斬首にされました。

首都高の下をくぐり、現在は、賑やかな商店街となっている旧板橋宿の中心部へと入ります。

まずは、東光寺へ。


此方のお寺さんには、宇喜田秀家の供養塔がございます。
関ヶ原の戦いで西軍の大将の一人であった宇喜田秀家は、斬首を免れ、八丈島に流されました。
明治に入り、内地に戻った秀家の子孫が此方に供養塔を建てたそうです。

かつては、平尾の追分に安置されていた平尾追分地蔵様も明治になってから此方のお寺さんに移され、今でも中山道歩き旅の人々を見守ってくれています。

此方は、寛文二年(1662年)建立の庚申塔

立派です。
続いて観明寺にお参りです。
山門の前に置かれた、寛文元年(1661年)建立の庚申塔

彫られた青面金剛は、 都内最古のものだそうです。
祠の中で大切に保管されています。

門をくぐると、可愛らしい六地蔵が迎えてくれます。

左手には、加賀藩下屋敷から遷された稲荷社がありました。

風格あるお稲荷さんですね。

此方のお寺さんは、出世不動尊でもあるようです。
欲深い4人組もしっかりお参り致しました。
お寺をでて、中山道から少し離れた所に板橋宿平尾町脇本陣跡がありました。


近藤勇が刑に処せられるまでの間、此方で幽閉されてたようです。
中山道に戻り、いたばし観光センターに立ち寄りお勉強です。

中山道や板橋宿の事など珍しい資料や写真を見る事ができました。

学び中。
お勉強を終え、中山道に戻ると、板橋仲宿に入ります。
商店街のお肉屋さんで焼き鳥を購入。
美味しかった‼️T氏、Jさんごちそうさまでしたm(__)m


少し進むと偏照寺。
宿場時代、伝馬に用いる馬のつなぎ場だったようで、馬頭観音等石碑、石塔が並びます。

その先には、板橋宿本陣跡。


中山道を右にそれると閻魔堂がある文殊院


閻魔様がおわします閻魔堂。


腰に持病を持つ私とT氏は、足腰の守り神とされる、子の大権現様にもしっかりお参り致しました。
中山道に戻りその先には、板橋宿仲宿脇本陣跡。



脇本陣跡を過ぎ、中山道に戻ると地名の由来となった板橋が石神井川に掛かります。



その②に続きます。