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武州足立郡吉野原村鈴木講中の庚申塔

さいたま市北区吉野町中山道沿いにあるお漬け物屋さんから、東側に100メートル程の所にある庚申塔です。
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正面には漢字で庚申塔の文字
両側面は道標になっています。
右側面は、左 はらいち
造立者として武州足立郡吉野原村鈴木講中
世話人太左衛門◯右衛門と彫られています。
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はらいちとは、上尾市原市、昔は、中山道の宿場であった上尾宿をしのぐ程、栄えていたようです。
中山道から原市へと続く脇道だったのでしょう。
鈴木講中とありますが、鈴木とは、中山道さいたま市側に行くと現在もバス亭としても残っている地区名です。
左側面には、右 いわつきの文字
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原市方面と岩槻方面へと続く分かれ道の道標だったのでしょう。明治の古地図で確認すると、二股の道は、現在地より中山道側にあったようなので少し移動したのでしょうか。
紀年銘は、文政七 甲申 天 霜月吉日
文政七年は、「きのえさる」西暦1824年、仁孝天皇の御代、将軍は、11代徳川家斉シーボルト鳴滝塾を開設した年、また、13代将軍、徳川家定が生まれた年です。